年間に100本も映画を観てると、1本1本に対する評価は割とスパッと決めて片っ端から忘れていくことになるのだが、
どう評価してよいかなかなか結論が出ない作品というのがある。
「風立ちぬ」はそういう作品のひとつだった。

だから完全にタイミングを逸した、しかも走り書きのような
こんなポストをすること、ご容赦いただきたい(笑)



少年少女の夢や成長を描いて、いくつもの傑作を生み出してきた宮崎監督。
「風立ちぬ」では、主人公が仕事と家庭を持った成人男性に変わっても、
彼の夢をロマンたっぷりに美しく描いてみせた。

けれど主人公は、ドイツ留学の経験から太平洋戦争が負け戦だとわかっていて、
戦闘機が殺戮の道具でしかないと思っていながら、夢のためにそれを利用した。
それをこんなふうにキレイに描くなんてタチが悪いという思いは、
鑑賞後もずっと抜けなかった。


僕が予告編だけで泣かされた「風立ちぬ」は、宮崎作品では初めて実在の人物を描き、
そのため時代設定やら外国事情やらも明確な史実に基づいている。
主人公が成人男性というのも異色だ。

「紅の豚」も成人男性のロマンと恋愛を描いた作品ではあるけど、
なんやかんやしてラストには豚の姿という呪いが解かれた(と推測される)ことが、
問題は全部解決しました、めでたしめでたし。という展開につながる極めて寓話的な話であるのに対し、
「風立ちぬ」はどこまでもbased on a true storyであり、
物語のテーマをアニメの世界から現実に置き換えて捉えられることから、逃げることはできなかった。
どんなに叙情的に描いても。

本作は、日本禁煙学会の要望書も話題になった喫煙シーンの多さが特徴だし、
上記の、人命を利用して夢を追い求めるという罪悪感みたいなものがテーマのひとつだった。

「紅の豚」の醜さはあくまでもファンタジーだけど、
「風立ちぬ」のこの醜さはファンタジーになり得ない。
その醜さに心を掻きむしられながら、恋愛や夢の追求の物語に思いを馳せる。
まるで僕らが現実社会で日々感じるような矛盾、本音と建前、表と裏を同時に見せつけられるような、
そういう気持ち悪さ。


どこぞのインディーズ制作会社がそういうアグレッシブな問題を投げかけるような、ガツンとくる作品を出すならわかるのだけど、
それをやってのけたのがかのスタジオジブリ、というのがただただ驚きだったのだ。


話は変わる。
主人公は、病気の奥さんがいるのにもかかわらず家庭を顧みずに仕事に没頭した。
キスシーンくらいはあったかもしれないけど、奥さんへの愛情表現は、現在の常識からすると相当に蛋白だ。
これを、家庭至上主義、特に仕事より家庭が大事だと信じて疑わない田舎のヤンキーたちが、
どう思うか、非常に気になるところだ。