中学1年生のときの日記(正確には、できごとをワンフレーズで書き表したメモ
みたいなもの)に、こんな記述を見つけた。


「3年生がおとなしくなるのは何故か?」



俺は今、社会人3年生なわけだけど、確かに大人の場合は、
3年目にもなってしまうとおとなしくなってくるのは認めよう。

でも、中学3年生といえば、まさに反抗期真っ盛りなのに、
なんでおとなしくなる(ように見えた)んだろう?


この日記は、9月の文化祭の感想として書かれているもの。
夏まではうるさかった3年生が、という前提なんだろう。

断っておくと、学力に関しては市内で底辺校だったし、
受験のために保身に走るような雰囲気のある中学校じゃなかった。

対照的に中学3年の俺はけっこう自由奔放で、
ほんとうに軽い気持ちで、普通科に進学しないことを決めた。
(当時は世間知らずで、それが人生を動かす選択だとは思わなかった)

実は、受験生の間に拡がる微妙な空気感みたいのものがあって、
周囲のみんなはそれを感じ取っていたのだろうか?



似たようなことで、思い当たるフシがある。
同僚や先輩との間に、仕事に対するスタンスに溝を感じる。
「社会人としての責任感」といわれるものが、俺にはいっこうに身につく気がしないのだ。

会社の中で、営業担当者の負うべき責任は営業実績。頭では理解してる。
でも、営業実績を目的に据えるなんて、どうやっても腹落ちしない。



文化祭の「In the future」という歌を合唱して高揚していた中学1年生の俺は、
目の上のたんこぶだった3年生がおとなしくなった理由として、
いろいろな考え方があるし、性格も人それぞれ違うから、わからない、としている。

つまり、個人差。ひとのかたちの差。この結論は間違っているわけではない、と思う。

変化への適応能力の低さは、種の滅亡への道。
個人差とはいえ、自分の適応能力の低さは、注意を払うべきおれの欠点だなと思う。