日本の戦争力」(アスコム 2005)


各国の軍隊を比べるのに、ただ兵力の大小を言ったり、国防費を高い順に並べても、あまり意味はない。見落としてはならないのは、日本の自衛隊は特定の能力だけが突出し、バランスを欠いた構造を持つことだ。(p.44)


構造や総合力という観点からすれば、自衛隊は、どこをどう切ってもパワー・プロジェクション(戦力投射)のかけらもありません。当然、本格的な海外派兵をしたり、戦力を投入して外国を占領できる構造を持つ軍事力ではありません。もちろん侵略戦争などできるはずがなく、限られた防衛戦闘しかできません。(p.55)


日本は「自衛隊にはパワー・プロジェクション能力がない」と世界にアピールし、誇り高く手を縛ってみせて、平和主義を実現するテコに使う事だってできるはず。そうしないのは、政治家や官僚が無知だからだ。(p.59)


日本列島に展開する米軍とは何か、その米軍基地を置く日本列島がアメリカの世界戦略上どのような位置づけにあるのかを知れば、日米安保の片務性に関する思い込みが錯覚であり、日本人が劣等感に苛まれる必要などないことがわかる。(そもそも、)アメリカと結ぶ安保条約が片務的でも非対称的でもない国―つまりアメリカと軍事的に対等な国など、世界中どこにも存在しない。それでもアメリカが同盟関係を維持するのは、それがアメリカの国益に適うからだ。(p.95,97)



9条については、これは侵略戦争を禁じた規定であると見ます。すると侵略戦争はせず防衛戦争に徹する自衛隊は、まさに9条に即した存在だということになります。(中略)「専守防衛」という概念に基づいて整備されてきた自衛隊は、憲法9条に反する鬼っ子ではなく、9条から正当に生れ落ちた子、と言えるわけです。(p.274)


現状で日本に可能な集団的自衛権の行使があるとすれば、在日米軍基地という戦略的根拠地を維持し、守ることによって、アメリカの戦力投射をサポートすることだけでしょう。(中略)このように、日本はすでに集団的自衛権を行使しているとも言えるのです。(中略)集団的自衛権はお互い五分五分でやろうというのが普通で、そういう形の集団的自衛権を日本が行使するには憲法を買え、戦力投射能力のある軍事力を持つ必要があります。しかし、アメリカはそのことをまったく望んでいません。(p.284-285)


すでに集団的自衛権を行使していると主張するだけでなく、同時進行的に集団的自衛権に関する日本モデルを提示し、その範囲内で可能なことを実行していくことも、国際的な信頼を維持するうえで有効ではないかと思います。(中略~日米安保条約とそれに優越する国連憲章を)あわせて読むと、たとえば日本周辺の有事に際して米軍が日本の基地や施設を使う場合でも、その行動は国連憲章の枠内に制限されるという考えが成り立ち、米軍の行動に対する一定の歯止めになり得るわけです。(p.286-287)





この本は、3ヶ月間だけおれの上司だったHさんからもらったもの。
ほかの誰かじゃなくおれにくれた理由は、読んでわかった。
「正論振りかざすのは悪いことじゃないけど、
現実論っていうものについても考えてみろよ」ってことだろう。


これまでずっと自衛隊は違憲だと思ってきたけど、これを読んで考え方が変わった。
もちろん、この小川さんという軍事評論家の言うことには引っかかる部分もあり、
すべて納得ということではない。けど、平和の実現方法は
ガンジー以外にもあるんだっていうことを具体的に認識できた収穫は大きい。


今日は広島原爆投下の日。
原爆の経験にしろ、専守防衛の軍事力というモデルにしろ、
日本が世界平和の重要な推進力になりうる要因はいくつもある。
それは国益と矛盾するどころか、そのチャンスを積極的に利用することこそが国益になるはず。
「NO MORE WAR」は当然。だから短絡的な反戦活動はどうかと思う。
その先に可能性があるのに、詳しいことはみんなあまり知らない。
その先に行けるかも知れないのに、惜しい。