半年前のとある講演会の質疑応答で、
盲学校の女性教師が披露した話が、今も印象に残っている。

学習意欲旺盛な、ひょっとしたら健常者よりも熱心に勉強する生徒に対して、
どうしてもうまく教えられなくて困っているのが、色、だと。


盲人が、限られたインプットゆえに聴覚が研ぎ澄まされて、
たとえば音楽の感性が伸びることはあっても、
視覚による多くの芸術的感性を伸ばしてやることはできない。

特に色の説明は困難を極める。
赤はあたたかい、青はつめたい。
そんな説明で、どこまで理解してくれているのかわからない。
茶色は木の色、緑は葉の色。
そんなの、木も葉も見たことのない彼らには意味が無い。

人間の作った言葉がいかに不完全であるかを思い知らされる。
こんなに身近なものを示すのに、充分な表現が無い。


普通に生活をしていると、言葉を磨いていく機会があまりにも少ないと思う。
言語は思考を規定する重要な要素だけど、
即物的、場当たり的に言葉を使っていると、考えが徐々に貧困になっていく。
かといって、商業的に扱う記者や作詞家やコピーライターならどうかと言えば、
やっぱり一般の人たちに受け容れられることを書かなきゃいけないから、
ノイズのような言葉で耳を留めるテクニックに長けてはいても、
人間の言語、ひいては思考を拡張するような領域には達しない。

理工系や政治経済の教育も重要だけど、
キャリアに直接結びつかない言葉の教育がなおざりにされている気がする。
そんな状況下で、ソーシャルメディアの台頭。
バーバルなコミュニケーションが減って文字のやり取りが増えた。
倍々ゲームで言葉が貧しくなるか、それとも磨きをかける機会になるのか。