BLOG by tdswordsworks

ACTIVATE MY MIND. Still Feb 4th 2004 -twitterに書ききれない雑感など-

カテゴリ: 文化・芸術・都市

に行ってきた!

国際フォーラムの地下ホールを使って開催され、画廊単位で出展されるというので、
もっと堅苦しいのをイメージしてたけど、美術館の企画展よりもずっと刺激的で面白い!

各ギャラリーが威信をかけ、自信を持って出品する作品が、駄作だったらダメだもんな。

気になる作品がいくつもあって、これからの作品にも注目していきたいと思えるアーティストがいっぱいできた。いよいよ俺のアートの楽しみ方が、音楽のそれと近くなってきたかも。

18本の透明な定規に合わせて切り分けられた風景写真の作品がすごく心に残った。
残念なことにタイトルも作家名も確認するのを忘れてしまって、わからない…。調べてみよう。

東京都写真美術館で開催中の
「映像をめぐる7夜-SEVEN NIGHTS, SEVEN LIGHTS-」
第4夜「フリッカー・ナイト」に参加してきました!


「フリッカー」という光を明滅させる表現技法を使った前衛映画を
集めて上映するという、相当マニアックなイベント。

ポケモンの「ポリゴン事件」以降、
特にアニメーションではフリッカーを使った表現が激減。
テレビではまずお目にかかれなくなったジャンルのフィルムアートです。

2年前にも大学の授業でこれらの作品群を鑑賞してて、
http://tds.blog.drecom.jp/archive/232
それをきっかけにショートフィルムに興味を持ったんです。
だから今回のイベントの開催を知って、「行くっきゃない」と。


「ポリゴン」の後光は赤と青の明滅だった(俺もテレビで見てた)けど、
今回観たのはモノクロのものがメイン。

最初の数分はすこーし頭が痛い感覚もあるけど、
そのあとは気分がハイになるよう。
スクリーンの枠を超えて会場全体がフリッカーしている画面になるような、
なかなか体験できない、アクティブな映像鑑賞。


アヴァンギャルドな夜でした。




大友克洋監督×CUP NOODLE、
超カッコいいアニメーション『FREEDOM』!


異常気象とそれに伴う資源争奪戦争によって文明の後退した地球が、
「自由」の象徴なのだとしたら、

地球の様子を隠匿する政府が管理する、月面都市EDENの平和な社会は、
なにを暗示しているのだろうか?





2003年12月、水戸芸術館の「YES ONO YOKO」展を訪れた際のジャーナル。


高校3年の頃に「Plastic Ono Band」のアルバムを聞いて以来、
気になっていたヨーコ・オノというアーティスト。

幸運なことに、当時暮らしていたつくばという街からそう遠くない場所で、
彼女の創作活動や精神を正面から受け止めようとした展覧会が開かれた。
大学の先輩がクルマで連れてってくれた。


「YES」
「Amaze」
「Apple」
「Telephone Piece」
などなど、鑑賞者がその展示物に対して何らかの反応を示すことによって
はじめて作品として完成するという考え方は、
当時の僕にとって非常に強く印象に残った。
見かけはシンプルでおかしいが、
思考をマッサージされるようなあの感覚は非常に気持ちよくて、
思わず「Grapefruits」を買ってしまった。



それ以来、いろんな美術館をめぐるのが趣味になっている。





見た?!

フィギュアスケートグランプリシリーズのアメリカ戦で、

高橋大輔選手が、ショートプログラムで
ひ、ヒップホップに挑戦?!


新しい・・・!

フィギュアといえば当然クラシック。
そんなフィギュアスケート界の常識を覆すチャレンジ。
若いからこそできることかもしれないし、
それを白人でも黒人でもなく日本人がやってのけるのがおもしろい。


BGMはヒップホップバージョンの「白鳥の湖」。
ヒップホップなステップシークエンスは、
ぎこちない感じもあったけど、オーディエンスまでノリノリ!


果敢に挑戦するトップアスリート、
すげぇなぁ。



「本日は、朝のラッシュの影響によりまして、
この電車ただいま3分遅れで運行されております。
お急ぎのお客様にはたいへんご迷惑をおかけします。
心からお詫び申し上げます。」



週に2回ぐらいあります、こういうこと。

もちろん、いつも、それを見越して余裕をもって電車に乗ってますよ。




それにしても、こんなに頻繁に「心からお詫び」してしまって、
ココロが擦り減ったりしないのでしょうか?


第一、ラッシュの影響で(乗客の乗降に時間がかかったりして)
遅れてしまうのであれば、鉄道会社に非はないんじゃないかな?



と、思っていたのですが、

これぞ鉄道マンのプロフェッショナリズム

なのではないかと気づきました。




鉄道会社にとって、ラッシュが起きるというのは、
それだけ多くのお客様にご利用いただいてるということ。


しかし、そのお客様の多さにキャパシティが追いつかず、
サービスの質の低下(遅延、車内の混雑)を招いてしまっている。


お客様のご期待に応えられていないのです。




「期待に応えられない」。

これほど申し訳ないことはありません。

その鉄道を通勤に利用することを選んで頂いているのに、
充分なサービス提供ができないなんて、悔しいはずです。



プロ意識を持った車掌さんは、

ホントにこんな風に考えてお詫び放送をしているのかもしれません。




東京ではたらくビジネスパーソンたちを、
少しでも楽にしてあげてほしいです。

そうすれば、日本の元気は10%くらいUPするのでは?

鉄道には、社会インフラとしてそういう影響力があるはずです。

首都圏鉄道会社各社には、ぜひともがんばっていただきたいです。




ashes and snow

先週日曜日までお台場の東京テレポート駅前で開催されていた美術展。



「Ashes and Snowは、写真作品、映像、美術装置、手紙形式の小説が一体となったアートプロジェクトです。グレゴリー・コルベールは、世界各地で15年間に渡り、人間と自然界の傑作とも言うべき動物との交流を写真や映像に収めてきました。」
――パンフレットより一部抜粋




イベントのことは知っていましたが、
カンタンにジャンル分けしてしまえば「動物写真」「自然写真」なんで、
はじめは興味がなくて。


会社の同期のヤツが大絶賛していたので、それならと、
半休を利用して行ってみました。


入場料の高さは置いておくとして、
とてもここちよい空間と時間を味わわせてもらいました。

よかったです。
芸術に関心がなくても楽しめるのでみんなにオススメしたいところですが、
もう終了してしまったので残念です。




大自然の中で、人間も獣も、静かに佇んでいる。

象のやさしい表情が、メロディを紡ぎだす。




僕の言葉で表現させてもらえるなら、そんな感じの展示でした。


下北沢に行ってきました。

ぶらりと歩くだけでもあんなにオモシロい街は、ないでしょ。

不規則的な路地に雑多なショップが立ち並んで、
均質化された郊外空間に慣らされた身としてはうらやましいほど、
いろんな文化を生み出している街だと思います。





でも、小田急線の地下化工事に併せて再開発計画が持ち上がっていて、
街のど真ん中にでっかい道路と駅前ロータリーが作られようとしています。


「防犯」などの名目で計画実行を主張する区に対して、
「文化的営みを守る」ことの価値を訴える反対派が、
「Save the 下北沢」という運動を展開しています。



下北沢で起こっていること



オレとしては、開発に反対ですね。
巨大資本がほとんど侵入せず、ここまで育ってきた街に、
今さら道路を作ってモータリゼーションの受け皿にして、
ビルが建って、街が変わってしまえば、
下北沢の魅力である文化的多様性をぶち壊すことになります。


ここのライブハウスや劇場で努力を積み、
いまや第一線で活躍しているミュージシャンや俳優もいっぱいいます。

開発は、その感性が育つ土壌をこの街から失わせるかもしれません。



周辺の渋滞を解消することは経済効果をもたらすけれども、
下北沢の文化的な営みだって、経済効果をもたらすはず。
ファッション・エンタメ・コンテンツ産業の発信地であるのは明白。
その気になれば街としての資本価値も数値化できるはず。

むしろ下北沢の価値はそういうものに還元されないところにある。
最近のオレのブログで繰り返し言ってきたような新しい価値観に対応する、
新たな価値基準が通用するなら、説得力のある反論ができるんだろうけど。


それにしても乱暴な計画が進行してるなーと思います。









今回はあまり時間もなかったんで、東口~南口だけを散策しました。



ビレバンで見つけたCDが良すぎて買っちゃいました。

DE DE MOUSEの「tide of stars」というアルバムがかなり良いです。
星空ミュージックとでもいいますか。

RAMRIDERは衝動買いでした。
収録曲がほとんどREMIXのアルバムを俺に買わせるのは、
シモキタ的、ビレバン的雰囲気演出のなせるワザですね。

エレクトロニカ・ヒップホップと呼んでいいのか、
Jemapurというミュージシャンのアルバムが気に入りました。
弱冠19歳というポップが信じられない世界観の構築っぷりです。
でもオレの肌に合わないラップが流れてくるのに違和感があって、
結局買いませんでした。







社会人になっても、
土日にぶらりと訪れたい街です。

片道1時間半は若干遠いですけど・・・。




毛利嘉孝先生の著書、「文化=政治」。


文化的なパフォーマンスが印象の強い、新しい政治活動、
あるいはもっと広く考えれば、文化と政治が一体のものとして存在する状態の
全世界同時多発的な拡がりについて書かれているテキストです。


例示されているのは、
1999年のWTOシアトル会議で起きた闘争
ノッティング・ヒル・カーニバル
「ストリートを取り返せ」運動(道路を占拠するデモ)
メキシコのサパティスタ(インターネットを駆使した政治デモ)
などでした。



「重要なのはフリーター層の中でも経済的にも文化的にも比較的恵まれた人びとがこうした新しい文化=政治運動を担っているという積極的な認識である。」
「だがその理解は、(中略)流動化している世界におけるある奇妙な、他者との複数形のアイデンティティの共有であり、未来の自分の階級的位置に対する漠然とした不安と危機感なのである。」
(p.186)




ひと昔前の社会運動が下火になったのはなぜか?
なぜ左翼エリートの啓蒙的な言説は「効かない」のか?


毛利さんが言うことをオレの言葉で解釈すればこうなる。

社会のスペクタクル化(情報/消費社会化)と
意識の個人化(社会の分節化)が進んだことによって、
他者に対する想像力を持つことが困難になり、
「連帯」がもはや死語になってしまったから。


左翼エリートによる「連帯」の呼びかけは、
ヒロイスティックで非現実的なものになってしまっている。



そんなことを書いてから、毛利さんは、
心的あるいは身体的と呼ばれる世界認識のあり方を要求する必要も
あるのではないかと述べている。

「私が最近の新しい文化=政治運動に期待しているのは、それがひとつのイデオロギーではなく、この身体的な反応によって動かされているからである。」
(p.200-201)






つまるところ最近のユニークな、お祭騒ぎ的な社会運動というのは、
文化を政治的活動に組み込むことで、
文化のもとに政治を取り戻そうとする運動なんだろうと思います。


文化と政治、僕らにはどちらも必要なわけで、
社会の向かうべき先を冷静に予見しようとすれば、
どうやら文化が政治を包摂する方向で進めていくのが適切な道筋なんでしょう。

ただし、現状では政治経済システムの中で文化が認識されているようです。

でも、たとえば巨大資本が市場を作って、
その枠の中で製品(消費財)を消費するように仕向けられているのが、
文化のあり方だというなら、あまりにもおもしろくないと思いませんか?


それと、システムに組み込まれない非消費的文化(ex.環境保護)にも
積極的な意味を見出すことは可能なのでしょうか。
これも21世紀の人類に課せられた重要な難題でしょう。



スラムダンク、ご近所物語

めちゃくちゃ大好きなこの2つのマンガの共通点は、
「出世物語」であることだ。


主人公が有名になっていくプロセスが快感なんだ。

「ONE PIECE」でルフィ海賊団の懸賞金が上がっていくのもドキドキする。


もちろん、出世していく主人公は、
苦悩や挫折を乗り越えていくわけだけれども。






存在感を示せるようになること。



地位や名誉は、なんだかんだ言っても欲しいものです。

それが権力を握ることになるのだからね。


ただし、一度地位を築いてしまったら、
それを守るために犠牲にしなければならないことがたくさんあるんだろう。
誰しもがストイックに生きられるわけじゃない。


そういう覚悟、オレはできてるかな?




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