8月16日、祖父が亡くなりました。
葬儀は、参列者が無尽蔵に増える懸念があるとかで、親族だけの密葬でした。

お葬式という行事に出るのは、実に14年ぶり2度目。
我が家には、父の宗教上の理由から墓参りの習慣がないので、菩提寺がどこかも知らないくらいにお寺とは縁遠いのですが、今回は、お通夜、告別式、初七日と一連の法要をきちんと経験しました。


お坊さんを車で送迎する担当だったこともあって、いろんな話を聞きました。今回利用したセレモニーホールが以前は結婚式場だったこととか、他のお坊さんが腕時計を着けていることに対して、振る舞いにこだわるべきだとか、読経の修行をすると喉が潰れて、こういう声になるんだとか、いろんなことを。

参列者全員に対しても、法要の作法を折に触れて丁寧に説明してくれる、ちょっとしつこいけど有難いお坊さんでした。通夜は故人を仏門に入れて戒名を与える儀式で、本来は親族を気遣って喪服NG。告別式は故人をひっぱたいて死んでることを確認してから、成仏できるよう親族の無事を伝える儀式。火葬場に行く前に棺に釘を打って今生の別れとし、心の準備が出来たら火葬する。七日法要では、故人の輪廻の裁定に対して、親族が善い行いをしてアピールする。
僕は仏を一切信じませんが、こうやって法要を一つずつ意味を踏まえて行うことが、大切な人を失った悲しみを慰めるプロセスになるということは実感しました。


祖父は僕とちょうど60年違う大正13年生まれで、85歳でした。親の方針で小学校しか出てないけど、本当は学業の道に進みたかった人だから、俺が孫の代で初めて大学に入学したときは本当に喜んでくれました。末孫が来年大学を受験、2人目の大学進学を果たす予定なので、それを待たずに往ってしまったのは残念。

親戚が少ないこともあり、言葉を交わしたことのある親族が亡くなるという経験は初めて。病状は悪かったしここ数ヶ月間は意識もない状態だったので覚悟はしていましたが、お葬式で、そして家に帰る車の中で、つんとこみ上げるものがあったとき、僕にとっての祖父の大きさを確認したのでした。