BLOG by tdswordsworks

ACTIVATE MY MIND. Still Feb 4th 2004 -twitterに書ききれない雑感など-

2011/04/20 09:28:58
たくさんのバイトを抱える店長さんと自分を重ねて思ったこと|「学生のチームワークと仕事の違い」http://www.mineiyuki.com/2011/376/

学生時代、委員会やサークルをそれなりにうまく回すことに成功していたので、
会社経営がどうして難しいのかを考えるのが、難しかった。
会社は、利益を追求するために相応の負担をする必要があるし、
組織にジョインする目的が多様でマネジメントが難しい、というのは
理解していたけど、具体的にどう難しいのかは、よくわからなかった。



2011/04/24 10:06:38
思い起こしてみれば、おれにとって仕事が一番たのしいのは、自分が誰かを動かして、その相手が予想以上のパフォーマンスを発揮したときかも。社会に何か価値をもたらせているとしてもそれを実感するのって凄く難しいから、そういう身近な満足感を糧にするのが、はたらくことをたのしむ秘訣。

社会に価値ある何かを提供するために仕事を続けているけれど、
日々の成果はとても小さくて、ほとんどのシーンでは社会貢献を実感できるわけではない。
だから、充実感をもって働くためには、自己実現のマイルストーンを、
社会貢献以外の成果に置く必要があると思っている。

入社1,2年目であれば、日々の自己成長実感がそれに替わって存在していたけど、
まもなく5年目に入るおれは、成果が実感できなければ満足できなくなっている。
営業職ではないので、日々の成果を実感するのはけっこう難しい。
今のおれの業務内容を、工数比率とともに表してみると、次のような感じになる。
  • 決められたフローに従う定型業務・・・1割
  • トラブル処理など非定型業務・・・2割
  • プロジェクトなどの企画検討・・・3割
  • 業務のマネジメント・・・4割

職制上は企画職という位置づけでも、半分近くは管理職に近かったりするのだ。



2011/04/24 10:13:07
実は今、自分が動かした相手に大きなパフォーマンスを発揮させて満足感を得ることができる、スポデー委員長時代以来の最大のチャンスが到来している。けれど、目的達成までのグランドデザインを描く難易度は、今回のほうが格段に高い。


マネジメント職型の成果実感とはどういうものか、俺は学生時代に経験させてもらっている。
この業務分担は適切か?クオリティをコントロールできているか?
メンバーのミスを減らすために、フォロー人員を入れられないか?
例えばそうやって、自分の打ち手がチームの成果に影響をもたらしたかどうか、
頻繁に振り返りながら、自分ではなく組織の成果をコントロールできているという実感が、
マネジメント業務の充実感につながる。

とはいえ、これを会社組織で果たすのはとてもチャレンジングだ。
今年度のおれの業務計画では、いま運用業務にかけている3割をマネジメントにシフトさせる必要がある。
マネジメントスキルを身につける一方で、後輩に業務を引き継がないと回せない。
運用の工夫で改善できる部分もあるけど、やはり人をうまく動かせないといけない。
けれどそのリソースは、学生組織とは比較にならないほど制限が多い。
だからこそ、これを達成したときの充実感は、人生最高のものになるはずなのだ。



言葉に対する洞察力の鋭い芸人が好きだ。

代表格は松本人志。尊敬の域に入る。
若手ではピース又吉がいちばん気になっている。


松本人志で最も印象に残っているのは、かなり前になるけど、
「HEY! HEY! HEY!」のゲスト浜崎あゆみとのトークで、
彼が、曲名の「SEASONS」を「季節ら」と訳したシーン。

人のみに用いられる「ら」や「たち」の本来の用法を逸脱して、
「ふぞろいの林檎たち」のように有機物につけるレトリックは一般的。
「書物たち」のように無機物につけたのは大江健三郎が最初と言われる。
松本人志はさらに進んで、実体のないものに「ら」をつけた。

浜崎あゆみの曲のタイトルって、「WHATEVER」とか「Dearest」とか、
観念的過ぎて大河的というか、意味をあまり持たないものが多くて、
そこに「季節ら」という訳が提示されたことに、僕はとても驚いた。

「SEASONS」を意訳せよと言われたら、僕は「めぐる季節」と答える。
「季節」は、実体はないが観念的に存在するので、動詞を用いることができる。

けれど、松本人志が「季節」に「たち」や「ら」をつけたとき、
「実体を有するものとしての季節」という存在が想起される。
その違和感が笑いを誘うことを、彼は理解していたのだ。

2011/04/24 09:24:18
混乱の中のサービス精神が先入観によって誤解され、小さなミスが批判の対象に仕立てられてしまった RT @togetter_jp: 「つくば市の放射線検査要求はマスコミによる曲解報道のようです」が2000PVを超えました。 http://togetter.com/li/126247


俺はつくばという街を愛している。
学生時代を過ごしたこの街を、
同じく4年間通勤している東京や、
延べ22年住んでいる地元の春日部よりもずっと。

都会と自然が、お互いを支えあうように共存していて、
街並みが美しく、空気も美味しく、暮らしはマイペースで、
多くの優れた研究がこの街で進められていて、
治安も良くて子どもを育てるには最高の環境で、
そして、俺に成長と自由の場を与えてくれた街。

そんな街の行政が官房長官に批判された報道を見て、俺はショックを受けた。

「報道ステーション」という大嫌いな番組のわずか数十秒のニュースだったので、
何か事情があって誇張報道されてしまったのだろうということは予想できたけど、
政府のスポークスマンがそれを見抜けない国では、これからつくば市に対して
見当違いの批判が浴びせられるであろうという予測に、やりきれない思いになった。

福島県からの避難者への放射線検査について(つくば市) 2011.4.20

つくばの人たちは、自らの生活が科学技術の恩恵を受けていることも、
それを問題解決のために利用する方法も、理解があるほうだと思う。
ミスをしてしまった職員の案内はともかく、市としては、転入手続きの際に、
「保健所で検査を実施しているので、不安でしたらご利用ください」と案内していたようだ。

放射線のスクリーニングの目的についての誤解もあるのだろう。
避難されてきた人が汚染されているかどうかを確認するためというより、
汚染されていないことを確認して避難されてきた方に安心していただくため。
だって、もし一般人が汚染されてたら政府も悠長に構えてるわけない。

避難者に対する差別があるかもしれない、という世間の不安や先入観が、
必要以上に大きな記事をつくるよう、マスコミに仕向けてしまった。
というのが、俺がタイムライン上で見たおおかたの分析。

来月、つくばに行く用事ができた。
卒業後もよく訪れているが、震災後は初めて。
あの街が今もこれからもすばらしい街であることを、確かめてきたい。

先週末、ロックバンド「ANIMA」の2ndアルバムrelease partyに行ってきた。

HEADZのロック秘蔵っ子「ANIMA」が益子樹全面プロデュースの2ndアルバム


いやー、楽しんだぁぁぁ!楽しいぃぃぃ!ファン!!ラブ!!!
思いっきり揺れてきたぜ。

詞の世界観もサウンドもヴォーカルの歌い方も、ちょっと変わってるんでね、
マジョリティに受け容れられるかどうかはわからないけれど、
所々軟弱だったり、と思えばひたすらハイテンションなプレイをしたり、
CD聞いて予想してたのとは異なるライブパフォーマンスに大満足。
印象が強すぎて、「BLUE BANANA」がまだ頭の中めぐってる。


実は、ANIMAのヴォーカルである小島ケイタニーラブさん(@keitaney)は、
オレがTwitterを始めたきっかけになった方で、
最初に相互フォローしていただいた方でもある。

小島ケイタニーラブさんは、昨年の2月に新宿タワレコで行われた
蓮沼執太さんのタワレコインストアライブに、ゲストとして出演していた。
今回のライブでも演奏した「しごとのうた」という歌の自作詞がいいなあと思ったので、
そのとき渡されたビラに載っていたTwitterのIDを検索してみたのが最初。


出演者陣のうち、オレ自身のお目当ては「蓮沼執太チーム」だったんだけどね。
震災でキャンセルになった公園の振替で彼らの出演が決まっていなかったら、
ANIMAのおもしろさにも気づけなかったと思うと、予定を調整して参加を決めてくれた
蓮沼執太チームの皆さんにありがとー!って言いたい。

そうそう、もう1つの出演バンド「THIS IS PANIC」というトンデモナイ人たちが、
これまたとことん風変わりで、こちらはかなり笑わせてもらった。
ベースとドラムが演奏を放ってメンバー4人で円陣組みながら歌ったり、
特に楽器も持たず専らダンスに専念している人の衣装が、まさかと思うほど笑えたり。
丁寧に笑いを科学してステージの順序や転換の繋ぎが組まれている事もすごい。
もちろんそれって難易度がとても高くて、完成度が低い状態であることは否定しない。
危うくCDまで買いそうになったけど、CDではただのウザい音楽でしかないとも思うし、
彼らの真骨頂がライブであることは確実なので、また彼らのライブに行くことを
心に誓って、CDを買うのはやめておいた。




2011/04/10 14:46:55
[13.8kmを1:26:18で走りました. #jognote] 至るところに桜、桜、桜。眺めながらのんびりラン。 http://www.jognote.com/days/7997632


満開に咲き乱れる桜を眺めながら走ってきた。
家の近くに新方川(あるいは千間掘)という川があって、
その岸の桜並木が、とぉーっても美しいので、
今日はのんびりペースで、時に立ち止まって、写真撮ったりしながら。

今日撮った写真

instagram:対岸の花事
instagram:between blue and blue



おれが走るようになったのは、2年前の夏、練馬区でひとり暮らしをしていたときから。
東伏見、三鷹、吉祥寺周辺は、公園や、きれいに舗装された街路が多くて、走りやすかった。
暑いので走るのは主に早朝。平日も走ってた。

実家に戻ってからは、早朝ランはできない(シャワー浴びられないから)し、
走りやすい道もなかなか見つからなくて、一時は頻度が落ちてしまったんだけどね、
昨年のこの時期、桜を目当てに週末ランに繰り出したのがきっかけで再浮上。
そのときは、「今日は『つぼみラン』」「今日は『満開ラン』」ってネーミングして、
自分で気分を盛り上げてた。

その頃は走った「距離」ではなく「時間」を計測して手帳に書き込んで管理してて、
その頃の手帳を見ると、30分台が多い。でもお花見ランをきっかけに、
走りやすい道を発見して、40分台、50分台と、時間も延びていった。
暖かくなっていったのも関係あるだろうけどさ。


桜の下を走るのは、ほんとうに気持ちがいいよ!

MOTアニュアル2011 Nearest Faraway|世界の深さのはかり方

田窪恭治展 風景芸術


週末、東京都現代美術館で同時開催中の2つの企画展に行ってきました。
それがそれが、とてつもなく良くて、ホントにお勧めしたいのです。

2011/04/03 00:55:53
そうそう、今日行った東京都現代美術館の企画展2つともとんでもなく良かったんです!特にアニュアル展は、冨井大裕さんの作品、衣装ケースのタオル、スーパーボール、画鋲など、どれも素敵すぎてニヤニヤしてしまいました。池内晶子さんの作品、絹糸を吊った幻想的な部屋も、心が揺さぶられました。



詳しくご紹介しますと、まずは「MOTアニュアル」展(MOTは都現代美術館の通称)ですが、
シンプルな作風を共通点とした、次の6名の現代アーティストによるグループ展です。

池内晶子|椛田ちひろ|木藤純子|関根直子|冨井大裕|八木良太

展覧会概要には、
彼ら/彼女らの素材や技法の選択は意図的にシンプルでありながら、それによって生み出される作品の数々は、私たちを遠いところへはこんでいくような、広い射程をもっています。

とあります。

特にこの企画展の中で最も気に入った、冨井さんの作品では、
色鉛筆、折り紙、画鋲、ストロー、スポンジ、トンカチ、透明の衣装ケースなど、
きわめて身近な素材を、「え?そんなことに使うの?」という方法で用いています。

椛田さんの作品の部屋に入ると、天井から巨大な紫色の薄い布が吊らされていました。
説明を読むまで気づかないのですが、染めたものではなく、「油性ボールペン」で塗りつぶした作品です。
マジックペンではなく「ボールペン」です。油に起因するとみられる光沢はうっとりするほどです。

池内さんの作品の部屋は壮観でした。白い絹糸を部屋の四隅から張って、枝分かれさせ、
部屋の中央にかけて、まるで雲海のベッドか、白亜の宮殿のような空間を作り出していました。

この企画展で大事なのは作品の「質感」なので、
ウェブサイトの概要ページにある写真ではまったく伝わりません!
僕の心を揺さぶったミニマルでリアルな質感の芸術を、みんなに味わって欲しいです。


もうひとつは田窪恭治展。
フランスの礼拝堂再生プロジェクト、香川県の琴平山再生プロジェクトの
再現をメインに、美大在学中の活動も含めて主要作品を回顧する内容です。

知らない作家でしたが、こちらも良かったです。
琴平山の再現で、床に鋳物が敷き詰められていたのが、すごく心地よくて、
椿の花と葉の緑を描いた襖絵の前のシッティングスペースで心安らぐ時間を。
これだけで琴平山に観光に行きたくなってしまいました。
GWにひとりで行っちゃおうかな。誰か一緒に1泊で行ってくれる人募集!

想像もできなかったことが次々と起きました。

M9.0の大地震。多くの命と幸せな暮らしをさらっていった津波。
福島第一原発の放射線漏れ事故。首都圏の深刻な電力不足。

目を覆いたくなるような映像とACのCMでTV番組が埋め尽くされ、
Twitterやブログでは被災地応援と政府・東電批判の声が今も飛び交っています。

そういうものに触れるたびにこみ上げてくる想いで胸が溢れ、
でも、鼻がぐすんぐすん言ってるのは、たぶん花粉症のせい。

心身ともに変調をきたし、少々気が滅入っている月末です。


■東北関東大震災
3/21:「東北地方太平洋沖地震発生から現在まで」に詳しく書きましたので省略します。
1日のツイート数最多記録は、3/11、12日に2日連続で更新したようです。


■自宅のリフォーム(継続)
地震の影響で納入が遅れていたシステムキッチンも、何とか無事完成。想像していたより棚が高くて、母は紐を使って操っていたりします。リビングがほぼ完成したおかげで、僕の寝室で異様な存在だった冷蔵庫が、ようやく元の場所へ戻りました。ちなみに電気系統の工事がまだ完了していない都合で、エアコンの取り付けは一番最後になるようです。つまり、強制的に節電させられているような状態だったりします。


■OB訪問
地震の前の週末に、OB訪問を1件受けました。熱意に溢れる優秀な方で、個人的にはぜひ一緒に働きたいと思っています。2時間以上話題は尽きず、彼の質問に答える一方、僕が考える業界の問題や当社の強み・弱みなどいろいろ伝えることもできました。


■Mさん退職
入社してから最も長い期間(16ヶ月間)一緒に仕事をした方が、先日退職されました。初めて仕事で関わったときには、3社間契約のチェックで困らせたこと、2人で裁判所に行ったこと、そのあと行ったランチ、苦労して「イカ大」を一緒に受賞したこと・・・いろいろ思い出しますが、まだ彼女のいない職場に慣れないのが、正直なところです。


■映画鑑賞
・キック・アス
・神々と男たち
・ブンミおじさんの森


■ランニング
総走行距離:43.7km (2月は73.1km)



東北関東大震災に関する被災地向け情報の集約に関しては、
ポータルサイトがその強みを発揮して特設ページを開設しています。
Google Crisis Response 
Yahoo! 地域別震災関連情報 
msn 東日本大震災に関する情報 

しかしこれらは、自治体や交通機関のWebサイトへのリンクがほとんどで、
肝心のリンク先があまり更新されていなかったり、更新の有無もわからなかったりして、
必要な情報がいろんなところに散逸してしまっている印象を受けます。

そこで私が注目するサイトが「sinsai.info」です。
オープンソースの位置情報集約ソフトウェア「Ushahidi(ウシャヒディ)」を使い、
有志のエンジニアがクラウドソーシング技術により連携して立ち上げ、
現地で情報を投稿するスタッフ、投稿情報をするスタッフなど、
総勢100名を超えるボランティアにより運営されているとのこと。
「OpenStreetMap」がそのプロジェクト名です。
(参考:世界が注目する「sinsai.info」の成り立ちと、自分たちにもできること #sinsai

「Ushahidi」はスワヒリ語で「目撃者」の意味。
2008年にケニアで暴動などの危機災害情報を集約するサイトとして誕生しました。
(参考:ケニア発、世界中の危機・災害時に不可欠な位置関連情報集約サイト、『ウシャヒディ(Ushahidi )』
その技術はハイチやニュージーランドの地震災害でも効果を上げ、注目されていました。
(参考:ニュージーランド地震にみる、災害時にライフラインとなるソーシャルメディア活用法とは

「sinsai.info」が被災地向けの情報集約サイトとして優れていると思うのは、
・発信者ベースではなく対象エリアベースで情報がまとめられている
・更新日時の新しい順に並ぶので、刻々と状況が変わる災害時に適している
・アラート(更新情報の通知)が取得できる
といった点でしょうか。

「Ushahidi」は自由度が高く、まだまだ様々な使い道がありそうです。
被災地の食糧や健康など諸問題の解決に役立つことを、期待せずにはいられません。

2011/03/20 22:35:43
よくまとまってる!必読!RT @touhokujishin: 仙南中央病院の事例を元に解説 /twitterで救援情報がチェーンメール化した事例と情報拡散の在り方 http://ow.ly/4hPSG


上のリンク先の記事を読んで考えた。
正しい情報を得るためにどうしたらよいか?


ネット上の情報を信用しない人の特徴は、
情報は、正と誤の2種類に分けられる、と考えていることだと思う。

そして、一昔前までは、情報リテラシーとは、
マスメディアが流した情報の正誤を見極めるスキルのことだったのかもしれない。

けれど今の時代は、ブログやSNSなどを利用して、
様々な立場の人がそれぞれの意図で多種多様に情報を発信している。
ネット時代の情報リテラシーとは、その中から自分の判断に必要な情報を収集し、
それを的確に(not equal 正確に)シェアするスキルのことだ。


ネット上でデマが広まった原因として、リンク先の記事で取り上げられているのは、
当事者として個別具体的に仙南中央病院の情報を広める意図の投稿と、
それよりも俯瞰的に太平洋沿岸地域の被害の大きさを示す意図の投稿が、
Twitterの非公式RTという積極的な情報行動によってミックスされた事例だ。

また、ネット上でデマが広まる事例としては、ジョークのつもりで発信した情報が
いつの間にか真実として伝播するケースもよく言われていること。

いずれのデマも、オリジナルの情報の発信者には、
情報を隠そうとか誤った情報を流そうとかいう意図は無いし、
発信された時点では、決して誤った情報とは言えないのだ。
それが誤った情報となる原因は、受信者の"誤読"にある場合がほとんど。
文中に表れない発信者の意図の"誤読"が根本的な原因だ。
オリジナルの発信者の人格や心理状況を関知しない受信者がその情報を
シェアできるというソーシャルウェブの環境が、それを助長しやすいのかもしれない。
かといって、これはメールやクチコミよりスピードが速いというだけであって、
リアルなコミュニケーションの中でも、もちろんデマは生まれる。



原発事故の報道と、それに関して東電に対する批判が強まっている。

僕は、東電の発表が信用できるかを考えるとき、まず東電の社風を想像してみた。
「電力の安定供給」こそが存在意義である東電に、危機発生時のアジリティはなさそう。
危機管理の甘さや、段取りの悪い広報対応は、意外にも東電のイメージと重なった。
たぶん、彼らの能力の範囲内で、彼らは精一杯のことをやっているのだと思う。
東電に全幅の信頼を寄せることは無いし、そこから出る情報も充分ではないけど、
出すべき情報はちゃんと出してると僕は判断した。



完全に正しい二次情報なんて、今も昔も存在しない。
完全に正しい一次情報を得るための絶対的な方法も存在しないけど、
必ず必要なのは、正確性を期待できる情報源を押さえること。
曖昧さを低減させるために、その情報の真偽を確かめることも大事だし、
それが誤りや不充分である場合も想定して、他の情報源も確保しておけばなお良し。

このあたりのことって、高校の「情報」の授業ではどう教えてるんだろうか。
僕も知りたいよ。

2011/03/15 08:52:56
読了。冷静にさせてくれてありがとう。阪神の教訓は必ず役に立つ。RT @kuro1969: 必読。RT @satonao310: 阪神大震災の被災者として共感します。→「被災者の役に立ちたいと考えている優しい若者たちへ~僕の浅はかな経験談~」 http://ow.ly/4essD


さとなおさんのツイートをRTした黒須さんのツイートをコメントつけてRTしただけなんだけどね。
mentionと公式RTとふぁぼりを通知してくれるアプリ「Boxcar」を使ってるので、
RTした直後からプッシュ通信のポップアップが、消してもまた表れ、まるでパレードのようでした。

この記事読んで自分の非力さを思い知らされました。
人の命を救う能力が、僕には無いことを。
そのかわりに僕は、人の心を豊かにする能力を磨こう。
それが僕にできる、日本復興への貢献なのだから。

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