BLOG by tdswordsworks

ACTIVATE MY MIND. Still Feb 4th 2004 -twitterに書ききれない雑感など-

2006年07月

(I社新卒採用日記より)
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夢が無いと幸せになれないとか
夢なんて持たないほうが楽だとか
夢こそ人間の生きる道だとか
夢につぶされた人生とか

夢はでっかく目標は堅実にだとか
夢は見るものじゃなくて叶えるものだとか
夢のために家族を犠牲にするとか
夢を諦める潔さとか





夢について
どう考えればいいんだろう









就職活動を再開します。





就職先を決めるには、まだ情報が足りない。








渋谷駅前に停まっていた循環バス

もう珍しくはなくなったいわゆるラッピングバスだけど、
キツいのはでっかく印刷されたその文字だ。



「あわれ彼女は娼婦」



映画だか演劇だかのタイトルなんだけど、
公共交通機関の広告としてはどうなんだろう。


逆に、娼婦という言葉を隠滅することにも、
議論の余地はあるけれど。


下北沢に初めて行ったとき、
文化の交点としての都市をイメージどおりに体現した街だと思った。

下北沢の再開発計画図を見たときには、
「これはヒドい」と直感で思った。



シモキタで活動する人たちの話を聞くと、
シモキタの価値は目に見えるものではないということだ。

雰囲気、
コミュニケーション、
語らい、
生活感と文化発信の共立、
新しい文化の流入による刺激・・・。


「経済効率」「土地の有効活用」「利便性」
計画を進める行政のそういった論理は、
経済価値化できない価値観を持った反対派の人たちには通じていない。
下北沢のライブハウス「CLUB Que」や「SHELTER」の店長の話を聞いたら、
そんな風に感じた。




「都市」をテーマにした「カルチュラル・タイフーン2006」では、
阿佐ヶ谷住宅の建て替えに対する住民運動に関するセッションが印象に残った。

「情熱」と「知識」、
両方が揃って始めて成果が出る。

資本主義行政に立ち向かうためには、
資本主義の論理に則って戦うことが必然なのか否か。




経済価値という基準を無視して、
継続的に刺激的なコミュニケーションや「いい音楽」を追求する。
そういう価値観もある。
「下流」と言われようが、幸せになれるほうを選ぶ。


しかし、資本の論理のステージに立てば、シモキタに勝機は無いように思う。

「勝ち負けとか気にしないっすよ。」

でも自分たちの価値観を支える環境を守るために、
実を結ぶ活動をする必要があるんじゃないのか?






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