BLOG by tdswordsworks

ACTIVATE MY MIND. Still Feb 4th 2004 -twitterに書ききれない雑感など-

2007年08月

AさんとBさんの関係。

上司と部下。
友達どうし。
彼氏彼女。
親と子。
兄と妹。



周りの誰かと自分の関係。

53歳の父親と、その長男である自分。
隣の部署の入社3年目の先輩と、新人の自分。
不動産会社で総務の仕事をしている大学時代の友人と、自分。





誰かとの関係って、肩書きとかで表現されるだけ?
偶然の結果として付与されるだけのもの?


オレの捉え方って、そうだったかもしれない。




もちろん、その相手の感情や価値観に興味はあるけど、
それに働きかけて変えてやろうというつもりはない。

ましてや、その相手が自分に抱く思いをコントロールしようなんて、
考えたことも無かったように思う。


どうりで、恋愛なんてできないわけだ。








人が人に対して抱く思いを、「関係」ということばの第二義と捉えよう。

はたらきかけによって構築する「関係」。
それはもっと有機的なものだと捉えよう。





オレはホントに、「関係」という言葉の意味を取り違えていた。



オレがしているのは、相手の話を聞く仕事です。


でもさ、よく考えたらこれまでのオレって、人の話を聞かない人間じゃん。


できるのかー?



意識してもすぐにできるもんじゃないです。
話を聞いて相手のことを理解する、ということは。







オレが人の話を聞けない重大な問題はこんなところでしょうか。



?曖昧な言葉を勝手に解釈してしまうので、理解にズレが生じる


?事実確認を優先して感情を無視するので、強圧的になる




これをまとめて言うと、

「what?」の訊き方(具体的回答を相手に迫る)を使いすぎていて、
ex.「何をやりたいですか?」

「how?」の訊き方(答え方を相手に委ねる)ができない
ex.「どんな仕事をしたいですか?」

ということになるのではないかと思います。



実際にやってみると、whatの質問ばかりになるんです。
というより、howで訊く言葉が思いつかないんです。

そして、howで訊かれた方が話しやすいし、会話も展開していくんですね。





オレが興味を持つのは結果だけってことですか。
冷たい人間なのかも。






よく「感動を分かち合う」という表現が使われますが、
感動を分けることはできませんよね。

それぞれちょっとずつあるいはだいぶ違う感動を味わっていて
それでも感動という点では類似しているから、そう表現するだけです。

感情を共有することはできないはず。




「相手と考えが一致したけど、本当に食い違いはないだろうか」
「相手の話、もっともらしいけど、矛盾点はないだろうか」

こんな風に批判的に相手の言葉を読むクセが、
かなりしっかり身についちゃってるみたいです。


研究職の方が向いてるんじゃねぇの?って言われそう・・・。







なんて考え込んでるヒマは与えられないのが、
ウチの会社のキツいところでありいいところなんです。


今オレに求められているのは、
相手に興味を持って話を聞き、共感を示すこと。
そして相手を理解して、論理的に方向性を示すこと。





まだまだ壁は高いっす!

でも登りたい!

そのためには、行動あるのみ。





行定勲監督、神木隆之介主演
 『遠くの空に消えた』


なんだかすっきりした気分にさせる映画でした。



観終わったときに思ったのは、


奇跡を信じていてもいいんだよな。
諦めずに奇跡を起こせるようにがんばんなきゃな。



ということでした。





どんな映画かと言えば、ファンタジーなんですが、
ストーリーは三流だし明確な感動を与えてくれるわけでもないです。
設定は監督の暴走・妄想が入っているのでかなり滅茶苦茶です。

でも見るべきはそこじゃない。
監督のピュアな想いなんだと思います。

その想いが全篇にわたって振り撒かれているために
ただ何気なく観てしまうと、掴みのない映画で終わってしまうのが難点です。


「ふるさとを守れ!」でも
「子どものときの心を取りもどそう!」でもない。

この映画の伝えようとすることは明確な言葉にならないけど、
なかなか捨てがたいことなのは確かだと感じました。



NHK「憲法9条 日本の、これから」を観て。


憲法改正の是非。

各種の世論調査の結果を見ても、
これほど意見が分かれる問題はない。


番組を観て、自分の考えを記しておこうと思う。





■9条改正には反対


憲法では「理想」を描いてもいいと思う。

平和ボケだのなんだの言われるけど、
「戦力を保持しない」ことを固持し、
国際協調に配慮しつつ独自路線で平和を目指す国があっていいと思う。
経済力やインフラ整備力のある日本なら、不可能じゃないと思う。

制定の経緯がどうであろうが、1940年代の貴重な遺産を守り続けたい。





9条の改正について、主張は大きく4つに分けられるのでは。


1.憲法を改正して国際安全保障のために自衛隊を積極的に展開させる
     ※国防における米国依存の現状を問題視

2.憲法を改正して自衛隊の役割を明確にする
     ※東アジア情勢の危機認識に基づいて防衛力を不安視

3.憲法を改正せず、日米同盟も現状維持
     ※自衛隊の権限強化を懸念

4.自衛隊を廃止して、憲法9条の精神を世界に広める独自外交を展開する
     ※自衛隊を違憲と認識





■自衛隊は違憲


憲法9条の「戦力を保持せずに平和を希求する」というのは、
武力に頼らず、外交上の努力によって国際社会と強調して、
平和を維持するという意味だと解釈している。

日本は、経済力やそれに伴う発言力によって平和外交をリードする余地が
ありながら、安易な武力保持に走って自衛隊を発展させた。

資金面・人材面で外交に注力し尽くさぬ限り、
自衛隊は憲法9条の方針に違反している。





自衛隊を廃止して、「災害復興支援機構」という組織に移行してはどうか。

国内外の災害救助をメインの活動として、可能な範囲でPKOに参加するべき。



PKOに参加する際には集団的自衛権の問題もあるかもしれないけど、
国連安全保障理事会に日本の文民の担当者を置き、
派遣されるチームの全権として指揮することで、
「国連軍」とみなして集団的自衛権を行使することはできないだろうか?





■重視すべきことは何か?


国際貢献としての軍事力強化?
   →軍事以外で国際社会に貢献する方法はないのか?
   →米国の方針に振り回されることにならないのか?

確実に本土を守れる軍事力の配備?
   →逆に周辺国の軍事力強化を誘うのでは?
   →被爆国なのに核保有を容認するのか?

平和主義の精神を守ること?
   →襲撃されたらどうやって国民を守るのか?




「非武装でも国民を護る」ことは可能なのだろうか?

いのちを大切にしたいのであれば、僕たちはどうすればいいのだろうか?


番組中で、小林よしのりさんと相澤さんが、
ガンジーの「非暴力不服従」を引き合いに出して議論していたことは、
憲法9条の問題を考える上でキーポイントになってくるはずだ。


国際平和のために盾を捨てる覚悟を、国民に強いることができるだろうか?






僕は、盾を捨ててもいいと思う。

盾を捨てた国を世界が見離すのだとしたら、どうかしてるだろ。



世界史において、平和への歩みを戻す前例を作るべきではない。

憲法9条を改正して自衛隊を合憲化することは、
数世紀後から見れば、歴史の汚点になるのではないだろうか。






※これはメモなので気にしないでください


トピックからは決して論は出てこない
opinionがってさらに対論があって、はじめてargumentになる



会社からのコンプライアンスに関する指導を受けて、

このブログの過去の記事に不適切な表現がないかをチェックして、
削除・修正する処置を進めてきましたが、ようやく完了しました。


このブログの場合、主に政治家に対する過度に攻撃的な発言や、
他人のプライバシーに対する中途半端な配慮、
誤解を与えかねない不十分な記述等があったので、
適切な表現に改めるなどしました。
申し訳なかったです。



もともと気をつけて書いてはいたのですが、
「ある企業の社員として」適切な表現ということを考えると、
学生時代に比べてハードルが上がるんですね。

勤務先の企業に「勤務している」という記述は記事中にないのですが、
直接関係のない記事やコメントやリンクを総合的に捉えると、
それが容易に推測されうる状態になっています。

だから、事実上それが認識されるものとして、適切であるかどうかを、
修正・削除の判断基準にしました。



政治的信条や文化的嫌悪感に関する記述は、
判断が分かれるところかと思いましたが、残しました。
ブログのCGM(Consumer Generated Media)という性質を
肯定しておきたかったからです。

パブリックな個人発信型メディアの未来を、
僕も個人的に模索してみたいと思っています。




80年代に流行ったという「フランス現代思想」。

大学の哲学論壇では主流になってたりするのかもしれないが、
「失われた10年」の間にすくすくと育ってきた僕らの世代には、
お堅い感じがするというか、
「そもそもなんでフランス現代思想を学ぶのか」
という疑問が常にあったんじゃないか?



最近、この80年代の日本におけるポストモダン思想を総括する書籍が、
相次いで2冊刊行されたらしいです。

オレが買ったのは新書の方。軽くて電車の中でも読みやすいという理由で。





『<ポストモダン>とは何だったのか』本上まもる





注意しておきますが、
ポストモダン思想をある程度かじっていないと、
さっぱりわからない本です。


逆に、「脱構築」がどういうことだかをある程度理解していて、
『マトリックス』を批判的に鑑賞できた人なら、
アタマがマシュマロになってしまいそうなポストモダン思想運動のポイントを
よくぞここまで絶妙にまとめた、と感心すること間違いなしです。




読後にはとんでもない脱力感に襲われるかもしれませんが、
ポストモダン思想に対するモヤモヤはスッキリしました。


★★★★★
超オススメ。

本上氏の主張に賛同するかは別としてね。






自由民主党が歴史的敗北を喫した参院選から1週間。


年金
政治とカネ

この2つが参院選の争点でした。


でも、争点となるべき問題は他にもいっぱいあったはず。

自民は「構造改革の成果」で戦いたかったはずだし
共産や社民は「格差」や「憲法」を争点にしようとしていた。


躍進した民主と国民新党以外は、
「争点づくり」に失敗したのだと思います。




オレが重視する争点と、それに関して賛成できる政策を掲げる政党を
まとめると、次のようになります。


「雇用」:   社民

「教育」:   該当なし

「税制」:   公明

「憲法」:   共産・社民




うーん。

ネットで調べたりマニフェスト読んだりすればするほど、
どの政党に票を投じればいいのか、わからなくなってしまった。

いっそ棄権しようかとも思ったけど、
「本来的に自民党と共に二大政党制を築くべき」政党に入れておきました。


今回の選挙で当選した議員は、6年間も任期がある。
在任中に確実に、改憲の是非や環境保護のルール策定といった問題に、
判断を下すことになる。
そういう、腰をすえて取り組むべき問題の解決にあたる者を、
一時の感情や短期的な政策で判断するわけにはいかないでしょ。





勝った民主党には何ができるのでしょう。

憲法に軍隊保持を明記することを主張する議員もいれば、
自衛隊の縮小を主張する議員もいる。

まとまりなさすぎ。




さて、内閣は選挙の惨敗を受けて、動き出したようです。

政治家の資金管理団体に対して、
「1円以上の支出に関して領収書の提出を義務付ける」法制へ。



「投票に行っても何も変わらない」という政治不信が、
若年層の投票率を押し下げているけれど、

どうやら選挙で野党が勝つと、何かが変わるみたいです。




鳥越さんが報道番組で語っていました。

政治資金規正法をめぐる攻防は今後の様子を見なければいけないけど、
もし野党の勝利によって政府が政策を変えるなら、

選挙による民意が、国政に反映される「先例」をつくる。

この方針転換は、市民の政治参加の意識を高める役割を果たすとして、
一定の評価をしてもいいのかもしれません。

前途多難だけど。



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