今日、25歳になりました。
最近は、練馬区で夏の間だけのの一人暮らしをしながら、ミッドタウンに通勤してます。
仕事では刺激になるような出会いは少ないけど、
そこそこ仕事のできるヤツとして順調に作業をこなしています。
でも、一日先もどうなるかわからない現在の市況および会社の状況の中で、
なかなかビジョンとかは描くなくてね・・・。
仕事で熱くなれたら最高だけど、今の仕事で滅私奉公する気にはなれないのです。
でも、昨日、これまでの数年間に取り組んだことを思い起こしてみて気づいたのは、
学生時代はもちろん、社会人になってからも濃密な時間を過ごしてきたこと。
意図せぬ異動でいくつもの部署を経験したおかげで、入社2年2ヶ月にして、
個人顧客と接する仕事もしたし、営業も少しだけかじったし、
総務や企画に近い資産管理の仕事もしたし、すっかり事務っぽいこともやってます。
すべてが求めたことではないけれど、何かに役立つだろう/役立たせたいという
意識は常に持ってやってるというのは本当で、希望は捨ててないのです。
学生時代にいろいろな事に取り組んで身につけた気になっていた「推進力」と「分析力」。
会社ではなかなか歯が立たず、その能力の中途半端さに気づきました。
それでも、会社という組織がいかに多様な側面を持ち合わせているかを体験できて、
社会に出てよかったと思うし、応用力は何としても磨きたいと思うのです。
ふと考えてみると、25歳は母親がおれを産んだ年齢。
その気になれば家族も持てるし子供もつくれる年になったけど、
まだまだおれは少年の気分が抜けません。
責任感の低さや当事者意識の低さに反省することもあるけど、
夕日やスイーツにいちいち感動していられるのは、悪くないことだと思います。
もう、そう何度もしくじってはいられない歳になってしまったけど、
だからと言って代わりの生活や逃げ道をつくってばかりいたら、
ますます動くのが億劫になって、機動性もアクセントもなくなってしまうんだろうね。
だから、すべてに全力投球っていうまじめなスタンスは、大人の誘惑に負かされることなく、
堅持していかなきゃ!と思った、25歳の誕生日でした。
最近は、練馬区で夏の間だけのの一人暮らしをしながら、ミッドタウンに通勤してます。
仕事では刺激になるような出会いは少ないけど、
そこそこ仕事のできるヤツとして順調に作業をこなしています。
でも、一日先もどうなるかわからない現在の市況および会社の状況の中で、
なかなかビジョンとかは描くなくてね・・・。
仕事で熱くなれたら最高だけど、今の仕事で滅私奉公する気にはなれないのです。
でも、昨日、これまでの数年間に取り組んだことを思い起こしてみて気づいたのは、
学生時代はもちろん、社会人になってからも濃密な時間を過ごしてきたこと。
意図せぬ異動でいくつもの部署を経験したおかげで、入社2年2ヶ月にして、
個人顧客と接する仕事もしたし、営業も少しだけかじったし、
総務や企画に近い資産管理の仕事もしたし、すっかり事務っぽいこともやってます。
すべてが求めたことではないけれど、何かに役立つだろう/役立たせたいという
意識は常に持ってやってるというのは本当で、希望は捨ててないのです。
学生時代にいろいろな事に取り組んで身につけた気になっていた「推進力」と「分析力」。
会社ではなかなか歯が立たず、その能力の中途半端さに気づきました。
それでも、会社という組織がいかに多様な側面を持ち合わせているかを体験できて、
社会に出てよかったと思うし、応用力は何としても磨きたいと思うのです。
ふと考えてみると、25歳は母親がおれを産んだ年齢。
その気になれば家族も持てるし子供もつくれる年になったけど、
まだまだおれは少年の気分が抜けません。
責任感の低さや当事者意識の低さに反省することもあるけど、
夕日やスイーツにいちいち感動していられるのは、悪くないことだと思います。
もう、そう何度もしくじってはいられない歳になってしまったけど、
だからと言って代わりの生活や逃げ道をつくってばかりいたら、
ますます動くのが億劫になって、機動性もアクセントもなくなってしまうんだろうね。
だから、すべてに全力投球っていうまじめなスタンスは、大人の誘惑に負かされることなく、
堅持していかなきゃ!と思った、25歳の誕生日でした。