BLOG by tdswordsworks

ACTIVATE MY MIND. Still Feb 4th 2004 -twitterに書ききれない雑感など-

2010年06月

楽天やユニクロの英語公用語化みたいな、
日本企業のグローバル人材戦略の加速と言えばよいのか、
日本の労働市場の国際化と言えばよいのか、
そんな流れはとうの以前からあったわけだけれど、
ここ最近になって、メディアがこれを真剣に取り上げるようになってきた。

例えば東洋経済6月19日号とか。

国際競争に晒されるぅ・・・という悲観的なムードが漂っているのを感じる。

新入社員の傾向調査でも、海外勤務を避けたがる傾向がどんどん強くなってる。
でも、これは明らかに大学教育の失敗。
学生に国際意識を与えることに積極的でないのは、日本の大学だけだろう。



さっきたまたま読んだフリーペーパーで、
アメリカのスノッブな若手インディ・バンドVAMPIRE WEEKENDのマルチプレーヤー、ロスタムは、
自分たちのキャッチフレーズを訊かれて「グローバル・ポップ・ミュージック」と答えている。

英語ネイティブっていうアドバンテージを彼らが持っているとしても、
世界の20代の潮流は消費もエンタテインメントもグローバルだっていうことは、
ちゃんと認識しておかないと、後で割を食うことになるのは確実。

日本の文化が好きだし、日本の社会インフラは優れていると思うし、
だから日本の問題を解決したい、日本のために働きたいと思うのは間違いじゃないけど、
視野の狭い、ナショナリスティックな視点で生産消費活動を行うことは、
もはや牧歌主義的な暮らしと言われても仕方ないような時代がそこまで来ていると思う。



日本国内の内向きなメディアの言説に浸かりきらないように、
海外のニュースや雑誌記事に普段から触れておくだけでもした方がよいと考えて、
数ヶ月前からクーリエ・ジャポンを再び読み始めたりしてる。

RSSリーダーやTwitterでも、ロイターやBreaking Newsといった
海外のメディアからの情報をキャッチできる状況にしている。

英会話は、たぶん必要に迫られないと続かないので、
必要に迫られる状況になるのを待つか、
できればそういう状況を自らつくり出すべきなんだろうなと考えていたら、
勤め先が外資のファンドに買収されることに。これはチャンスが近い。


アニメ「おおきく振りかぶって」の第2期も放送終了


http://www.oofuri.com/


原作は、ひぐちアサの高校野球コミック。
大学の先輩にっしーに薦められて買い始めた。

極度にオドオドしてるが抜群のコントロールを持つピッチャーと、
それを最大限に活かして配球を組み立てるクレバーなキャッチャーを
中心に、1年生だけの新設チームが懸命に頑張る姿を描く、
余りに青臭くて読んでるだけで恥ずかしくて悶えるほどの青春マンガ。



マンガにはマンガの文法みたいなものがあって、大概はアニメ化しても
スピード感がなくなったり、要素の多重化で人物のインパクトが薄れたりして
原作以上の表現作品にならないことが多いけど、
アニメ「おおきく振りかぶって」に関しては、さらにオモシロくなってる。
なぜかといえば、このマンガのある特殊性と関係していると思う。

それは、「心の声」(マンガでは雲の形のふきだしで表されるセリフ)。

登場人物の「心の声」がセリフに占める割合が大きくて、
対戦相手との駆け引きに重点を置いた展開がおもしろさの一つ。
同時に、例えば理想のプレイができない自分に対する焦りや苦悩、
チーム内の人間関係、尊敬、嫉妬なんかも、気持ちをしっかり描く。

これがアニメになると、それらの「心の声」が音声になることによって、
まず、キャラクターの個性が明確になる。
さらに、声に出さない「心の声」と声に出す「セリフ」のトーンに差をつけることで、
思いの全てを言い切らずにお互いの行動を尊重するような人間関係や、
逆に気持ちを巧く言葉にできないことがすれ違いを生んでいく様子、
それぞれのキャラクターの価値観の違いがチームとしての総体に組み込まれる
過程を、絶妙に描くことに成功している。


深夜アニメ「デュラララ!!」

http://www.durarara.com/


池袋を舞台に、非日常的な登場人物たちが巻き起こす事件。
自分から見える事実だけが真実じゃない。
周りの人たちも、それぞれの考えに基づいて行動していて、
奇想天外な結果を生み続けながら、この世界は絶妙なバランスで廻っている。

そんな風に人間関係を描く青春ファンタジー。



テレビ放送の中盤から見始めたのに、展開にぐいぐい引き込まれ、
次の放送が楽しみで仕方なくなっていた。
それぞれのキャラクターが、次にどう動くか?
そのタイミングが、どんな結果に繋がるのか?

そんな放送も、この週末に最終回を迎えた。おもしろかった!
序盤がどうなったのか気になるので、DVDを早く借りたい!



イメージしやすい実在の街にフォーカスして、
その街のアイコンを活かしつつ非現実的な要素を持ち込む
という設定は、のめりこみ易いという点はよいのだけれど、
街のイメージに頼りすぎた作品は、それに飲み込まれて失敗する。

この作品は池袋のステレオタイプなイメージである(と思う)
「カラーギャング」「若者の集団抗争」「垢抜けない街」といった要素のうち、
かったるさみたいなものは、ハイテンションな展開でうまく払拭しつつ、
安定感の無さをうまく利用して、先の読めない不安を煽り、
視聴者をドキドキさせ、ハラハラもさせることに成功している。

特に、自分の言動がひとり歩きして、望んでもいないのに
他人を傷つけてしまう苦悩を、すごく丁寧に描き出しているのは、
ソーシャルメディアと触れ合って生きる僕にとって意味があった。


会社の同期のSさん「5月29日、予定空いてる?」
おれ「ん、空いてると思う・・・って明日じゃん」
Sさん「うん、友達がドタキャンでさ。日帰り旅行行かない?」
おれ「んー、オッケー♪」

そしてしばらくしてから、
明日5月29日から31日まで上海万博に行く予定だったことに気づく。
結論、上海万博に行くのは延期。




目覚めると・・・5月29日(土)11時。

やべ!寝坊した!
と最初は思ったけど、よく考えたらそんな予定立ててない。


旅行がダブルブッキングして、何とか調整したのに結局寝坊。
という、なかなかリアルなだったのだ。



気味が悪いのは、日付がやたら具体的だったこと。

29日から31日は、実際の曜日で土日月にあたるわけで、
設定が妙に緻密というかね。

普段から時間とか休日の予定とか気にしすぎなのか。
夢にまで現れるほど。

なんかすげーヘコんだ夢。





半年前のとある講演会の質疑応答で、
盲学校の女性教師が披露した話が、今も印象に残っている。

学習意欲旺盛な、ひょっとしたら健常者よりも熱心に勉強する生徒に対して、
どうしてもうまく教えられなくて困っているのが、色、だと。


盲人が、限られたインプットゆえに聴覚が研ぎ澄まされて、
たとえば音楽の感性が伸びることはあっても、
視覚による多くの芸術的感性を伸ばしてやることはできない。

特に色の説明は困難を極める。
赤はあたたかい、青はつめたい。
そんな説明で、どこまで理解してくれているのかわからない。
茶色は木の色、緑は葉の色。
そんなの、木も葉も見たことのない彼らには意味が無い。

人間の作った言葉がいかに不完全であるかを思い知らされる。
こんなに身近なものを示すのに、充分な表現が無い。


普通に生活をしていると、言葉を磨いていく機会があまりにも少ないと思う。
言語は思考を規定する重要な要素だけど、
即物的、場当たり的に言葉を使っていると、考えが徐々に貧困になっていく。
かといって、商業的に扱う記者や作詞家やコピーライターならどうかと言えば、
やっぱり一般の人たちに受け容れられることを書かなきゃいけないから、
ノイズのような言葉で耳を留めるテクニックに長けてはいても、
人間の言語、ひいては思考を拡張するような領域には達しない。

理工系や政治経済の教育も重要だけど、
キャリアに直接結びつかない言葉の教育がなおざりにされている気がする。
そんな状況下で、ソーシャルメディアの台頭。
バーバルなコミュニケーションが減って文字のやり取りが増えた。
倍々ゲームで言葉が貧しくなるか、それとも磨きをかける機会になるのか。

鳩山さんは、Twitterを使いこなせていたら辞めずにすんだかもしれない。
Twitterには相手を肯定する雰囲気がある。
メディアを通さない鳩山さんの本音が60万人のフォロワーに届いたなら、
それを感じ取ったフォロワーが、政局に対する違和感を訴えるようになり、
それがうねりになれば、違う結果になった可能性もあったと思う。

政治が万能であるべきという幻想をできるだけ早く捨てなければ、
日本の政治はいつまでたってもまともに機能しないと思う。
首相は国のリーダーだけど、1億2000万人全員の生活の責任はとれない。
ベストな解決方法を探る議論は、いつも批判に阻害されてきた。


鳩山さんに首相の器がなかったとは思わない。
テクニック、スマートさに欠ける人ではあったが、
日本の展望から焦点をずらさず、ぐっと将来を見据えていたと思う。

宇宙人みたいな人だと言われてたけど、僕はそうは感じない。
推測するに、鳩山さんは多分鳩山さんなりに世の中をとても憂いていて、
でもその視点が庶民離れしすぎていたために、リアリティのある言葉や、
シンパシーを呼ぶ判断基準がわからず、国民とのコミュニケーションに失敗したのだ。

足りなかったのは、そんな鳩山さんの素質を政治の潮流に反映させる動き。
あんな草食系の首相を担ぐなら、政治も草食系にしなきゃうまくいきっこない。
かくして、鳩山さんは8ヶ月間浮きっぱなしだった。
脱官僚の政治に必要なのは、政治家の個性と明確なメッセージだ。
政策に批判はあって当然。それを修正するのはトップじゃなくてもできる。
力点をそこに置くのではなく、メッセージへの賛同こそ最優先で得るべきだった。
次は失敗して欲しくない。

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