峯岸みなみの丸刈り謝罪騒動のときにNHKの「ニュース深読み」で語られていたことなんだけど、謝罪によって責任の所在を曖昧にしてコミュニケーションを円滑にする、という慣習が、いいか悪いかは別にしてこの国にはあって、
めいろまさん、ごめんなさい」騒動に対する僕の感想は、その慣習こそが、あらゆる組織の不祥事や、あるいはいじめの温床にもなってるんじゃないかということ。


相手が何らかの不快感なりクレームなり提示したとき、その不快感の内容を精査しようとはせずに早々に謝罪を行ってまず責任の軽減を求めるという態度が、広く行われている。

仕事で「どこに問題がありますか?教えてください」と言ったら、むちゃくちゃ怒られる。「まず謝れ」と。政治家の不祥事も、早い段階で謝罪することで傷が深まるのを避けられることが往々にしてある。

そこでは原因の究明、責任の追及、再発防止策の策定といった本質的な問題解決のステップは、周辺的なトピックとして扱われ、先送りされ、十分に検証されないことが多い。

いじめが蔓延するのは、いじめられた側が訴えても、いじめた側の形式的な謝罪だけ済ませて、「あとは穏便にお願いします」という周囲の態度がいけないのだと思う。
本質的な問題解決をしようとすれば、「現状維持」はありえない。何かを変えなくてはいけない。

過去の問題に目をつぶって「日本を、取り戻す。」をスローガンにする政党に、
この体質は変えられないだろう。