今年も瀬戸内海に遊びに行きたいと考えているのですが、
昨年の瀬戸内国際芸術祭で最も強く印象に残っているのがこれです。
板持廃村再生プロジェクト
「数年前に人口ゼロとなった板持集落跡を覆う雑草や竹林を除去し、廃村の姿を提示する。」
(公式ガイドブックより)
この集落跡がある高見島は、人口43人の超過疎の島。その中でも板持集落跡は、島唯一の港から歩いて20分くらいかかる場所にあります。僕は集落跡までの舗装路を「この道はどんな人たちのためのものだったんだろうか。生活道路のように見えるけど、もはや誰の帰り道にもなりえないんだよな」なんてことを思ったりしながら歩いていきました。道沿いには電線や電灯があったのですが、もう電気は通ってないかもしれない。たとえ道の途中が土砂崩れとかで塞がれても、誰も気づかないし復旧作業も行われないだろうな、などとですね。
何もない場所へずんずんと歩みを進める僕の行為は、意味がなく、同時にアートそのものでした。
集落跡は、勾配のややきつい丘の中腹に位置していました。麓からすでに茂みに覆われていましたが、このプロジェクトによって来場者が通れるように草刈りと通路の補修が施されていました。
人の住まなくなってしまった集落に遺された古井戸や門構えを目にすると、初めのうちは寂寥感とでも言うべきものがこみ上げてくるのですが、徐々にそういう感傷的な表現では済まされないぞと感じるようになっていきます。
集落跡の最も奥までは特にキツい階段を辿って行きます。
居合わせた他の来場者が「こんなに歩かせておいて何もないのかよ」ってボヤいていて、おいおいそれなら来なきゃいいのに、って思ったんですけどね。このプロジェクトは理解されにくいとは思います。
5月に増田元総務相が座長を務める「日本創成会議」が発表した衝撃的な試算が、特に限界集落をいくつも抱えるような地方自治体を中心に波紋を広げています。
2040年、896市町村が消滅!? 若年女性流出で、日本創成会議が試算発表
この板持集落跡というのは、まさにその、人の営みの消滅した後に残る土地の姿を提示しているのです。
そもそもこの瀬戸内国際芸術祭自体、過疎化にあえぐ地方の活性化の起爆剤として企画されて成功し、日本全国の田舎で催されるアートイベントブームの先駆けになったといえる取り組み。過疎地のアートフェスでは廃校や廃屋が作品の展示会場として利用されることが往々にしてあり、板持集落再生プロジェクトが「廃村」を舞台としたのは、過疎地とアートの関係性をとらえるならば必然の流れと言えるのかもしれません。
けれど、廃校や廃屋が展示会場として利用されるのは、そこに都会から人を呼び込みたいという思惑が少なからずあるものですが、廃村の姿を提示するというこのプロジェクトの趣旨は、そうしたアートフェスの意義とは一線を画したところにあるはずなのです。
その決定的な違いの根本にあるのは、廃村には「未来」がないということ。
そして、すでに人口が43人と島全体が「限界集落」化している高見島の未来を暗示しているところに、怖さがあります。
通常、書籍や映像の資料越しにその姿を目にすることはあっても冒険家や研究者やテレビ取材でもない限り、廃村に立ち入るようなことはできません。この廃村を歩いた僕の思索は、街中の博物館で再現したとしても感じ得ない体験でしょう。見るだけでなくその場にいないと感じられない「未来」。
歩けるまでに手を入れるのは相当苦労があっただろうけど、非常に価値のある仕事だと思います。プロジェクトの皆さん、お疲れさまでした。ありがとうございました。
昨年の瀬戸内国際芸術祭で最も強く印象に残っているのがこれです。
板持廃村再生プロジェクト
「数年前に人口ゼロとなった板持集落跡を覆う雑草や竹林を除去し、廃村の姿を提示する。」
(公式ガイドブックより)
この集落跡がある高見島は、人口43人の超過疎の島。その中でも板持集落跡は、島唯一の港から歩いて20分くらいかかる場所にあります。僕は集落跡までの舗装路を「この道はどんな人たちのためのものだったんだろうか。生活道路のように見えるけど、もはや誰の帰り道にもなりえないんだよな」なんてことを思ったりしながら歩いていきました。道沿いには電線や電灯があったのですが、もう電気は通ってないかもしれない。たとえ道の途中が土砂崩れとかで塞がれても、誰も気づかないし復旧作業も行われないだろうな、などとですね。
何もない場所へずんずんと歩みを進める僕の行為は、意味がなく、同時にアートそのものでした。
集落跡は、勾配のややきつい丘の中腹に位置していました。麓からすでに茂みに覆われていましたが、このプロジェクトによって来場者が通れるように草刈りと通路の補修が施されていました。
人の住まなくなってしまった集落に遺された古井戸や門構えを目にすると、初めのうちは寂寥感とでも言うべきものがこみ上げてくるのですが、徐々にそういう感傷的な表現では済まされないぞと感じるようになっていきます。
集落跡の最も奥までは特にキツい階段を辿って行きます。
居合わせた他の来場者が「こんなに歩かせておいて何もないのかよ」ってボヤいていて、おいおいそれなら来なきゃいいのに、って思ったんですけどね。このプロジェクトは理解されにくいとは思います。
5月に増田元総務相が座長を務める「日本創成会議」が発表した衝撃的な試算が、特に限界集落をいくつも抱えるような地方自治体を中心に波紋を広げています。
2040年、896市町村が消滅!? 若年女性流出で、日本創成会議が試算発表
この板持集落跡というのは、まさにその、人の営みの消滅した後に残る土地の姿を提示しているのです。
そもそもこの瀬戸内国際芸術祭自体、過疎化にあえぐ地方の活性化の起爆剤として企画されて成功し、日本全国の田舎で催されるアートイベントブームの先駆けになったといえる取り組み。過疎地のアートフェスでは廃校や廃屋が作品の展示会場として利用されることが往々にしてあり、板持集落再生プロジェクトが「廃村」を舞台としたのは、過疎地とアートの関係性をとらえるならば必然の流れと言えるのかもしれません。
けれど、廃校や廃屋が展示会場として利用されるのは、そこに都会から人を呼び込みたいという思惑が少なからずあるものですが、廃村の姿を提示するというこのプロジェクトの趣旨は、そうしたアートフェスの意義とは一線を画したところにあるはずなのです。
その決定的な違いの根本にあるのは、廃村には「未来」がないということ。
そして、すでに人口が43人と島全体が「限界集落」化している高見島の未来を暗示しているところに、怖さがあります。
通常、書籍や映像の資料越しにその姿を目にすることはあっても冒険家や研究者やテレビ取材でもない限り、廃村に立ち入るようなことはできません。この廃村を歩いた僕の思索は、街中の博物館で再現したとしても感じ得ない体験でしょう。見るだけでなくその場にいないと感じられない「未来」。
歩けるまでに手を入れるのは相当苦労があっただろうけど、非常に価値のある仕事だと思います。プロジェクトの皆さん、お疲れさまでした。ありがとうございました。