最近、ある映画の台詞ををきっかけに、結婚について考えることがあった。
その映画もその台詞も、結婚とはまったく関係ないのだが・・・。




若さが自信だったひところと比べると、
結婚に何らかの充足を求めるようになったのは、確かだ。



だけど、これは絶対というわけではないのだけど、
仮にいつかおれが結婚したとしても、
他の多くの人たちが結婚によって得るほどの幸せを
おれが実感することはないんだろう、と思うのだ。



その根拠は、わが身のこれまでを振り返ってみたときの経験則のみだが。

理解してもらえるかわからないけど、仮に結婚できたとしても、
結婚しているという枠組みの中で幸福を追求しようとすることに対する、
物足りなさのようなものが、たぶんつきまとってくるんじゃないか。

むしろ、何らの枠組みに囚われることなく変幻自在に立場を利用しながらも、
安定や帰属を望み続けている方が、健全な物足りなさ、言い換えれば、
ハングリー精神として賞賛される心構えを保てるんじゃないだろうか。




先日、学生時代の友人から、結婚すると報告を受けた。
結婚を決意したいきさつを聞いたのだが、実はそれがもとになって、
上に書いた考えを認めてもいいと思うようになったのだ。

語弊があるかもしれないけど、
交際しているうちに、徐々に結婚前提の交際へと変化していって、
やがて自然な流れで、結婚することを決めたのだという。

でも、おれはきっと、明確な理由なく判断することは耐えられないだろう。
そもそも100%自信を持って結婚を決めるなんて無理だろう。




たぶんおれは今、この先結婚してもしなくても困らないような
人生設計を念頭に置いて暮らしている。

けど、ここで、「結婚しない」ことを前提として物事を捉えると、
どんな人生設計が描けるだろうかと思った。

考え始めると、まだ間に合う可能性に気づき、心が躍った。





困難だからって避けていたら、大切なものまで失いかねない。
充実した気持ちで働きたいのなら、そろそろ終わりにしないと。