今日で、あの地震からもう2ヶ月が経つ。
2ヶ月前から、日本はまるで違う国になってしまった。
それまでは到底想像だにしなかったことが次々と起きた。


津波。

あんな大きな津波が起きて、1万以上の人の命を奪うなんて、誰が想像できた?
宮城県名取で被災した友人の話では、海岸から6kmの場所まで津波が来たらしい。
6kmも離れていたら、そこが海の近くだなんて思わないし、津波なんて考えもしない。


原発事故。

その大津波が、よもやこんな大事故を引き起こすなんて、考えてもみなかった。
外壁の吹き飛んだ原子炉建屋の映像を、連日テレビで目にするなんて。
クリーン・エネルギーの代表格とされてきた原発が、実は全然クリーンじゃないことも知らなかった。


電力不足。計画停電。

完全に想定外だったのが計画停電。
日本の首都が深刻な電力不足に陥り、産業や医療に大きなダメージを与えるなんて。
リフォームが終わったらエアコン買う予定だったけどやめた。今年の夏はきっと死人が出る。


デマの拡大。

多くの人が不安に駆られ、手軽なソーシャルメディアで様々な情報を発信した。
その中には、事実誤認によるデマも多く見られ、またそれが伝播するのも極めて早かった。
有名人が原発事故に過剰反応して、必要以上に不安を煽るなんてことも、想像しなかった。



不安の波が僕の生活の一片や心身へ押し寄せ続けた2ヶ月だった。
けれど、想像していなかった希望も、たくさんある。



海外からの支援

台湾のチャリティー番組で40億円の義援金が集まったとか、
アフガニスタンのカンダハル市から400万円(!)の義援金が送られたとか、
こころ温まる、あるいは奮い立たせてくれる写真やメッセージが次々と寄せられるとか、
日本がこんなに海外から好かれているなんて、あまり考えたこと無かった。


節電

東京電力の電力供給能力が著しく落ち込んだけれど、予期せぬ大規模停電は回避された。
ちょっと無理している部分も大きいけど、その気になれば電力をセーブできるのだという事が
明らかになった。結論、消費電力をぐっと抑えて生活することは可能。
この危機を、日本が省エネ技術で世界を再びリードするための大きなチャンスにすることも可能だ。


ソーシャルメディアの価値

そんきょばさんのツイート
2011/03/12 15:39:23
Twitterをやってる人とやってない人の間で、この件の関心度が違うと感じる。「(なんか自分のいない所で)大変な事になってる」程度だった意識が、関心度の高い人々のつぶやきや、被災地のつぶやきに触れる事で意識が変わっていく。逆にデマは怖いが、なかなかいいじゃないかTwitter。


さとなおさんのブログ(2010年4月6日)
今回、ソーシャルメディアはいろんな部分で機能したと思うが(過大評価もしないし過小評価もしない)、ポイントは、日本を含め、世界中の多くの人々と「当事者意識を共有できたこと」だとボクは思う。

テレビのこっち側で傍観しているのではなくて、あっち側の当事者意識を共有できたことが、ソーシャルメディアの一番の意義だったのではないかと思う。

今度はその当事者意識を、この長丁場で「どこまでキープできるのか」が問われている。この先、「共感」と「つながり」で社会が再編成されるとするなら、その真のチカラが試されることになるだろう。


ソーシャルメディアが震災のときに役に立ったかと聞かれると、全員がそうではないはずだ。
僕の場合地震の日は会社にいたので、PC環境に困ることなく、情報はすぐ手に入った。

けれど、三陸の被災地や福島の避難地域を想う感覚は、ソーシャルメディアのおかげで増幅したし、
個人対個人で繋がっているからこそ当事者意識が芽生え、支援したいと考える。
繋がっているからこそ、できる支援と必要な支援のアンバランスも把握しやすい。

実はこれこそが、震災前は想定していなかったソーシャルメディアの最大の威力だと思う。


もう以前の日本には戻れない。
原発はこれ以上作れないし、津波で壊滅した街を元どおりに復元することはできない。

けれどこれから先、時間はかかるかもしれないけど、新しい暮らしを作っていくことはできる。
日本の政治や社会が目指すべきところは、じっくり考えて決めよう。