BLOG by tdswordsworks

ACTIVATE MY MIND. Still Feb 4th 2004 -twitterに書ききれない雑感など-

カテゴリ: about me

オレは草食系男子を自認していたんだけど、草食系男子を批判する世の中の声を聞くと、どうやらその定義が違う気がして、自称するのをやめた。


肉食系というのは、オレの認識では、目的を持ち、その達成のために他社との競争を避けず、積極的に行動するタイプのこと。一方で草食系は、他者依存で受動的で、言われたことしかやらない、よく言えば任された事をミスなくこなすことを目指すタイプ。


オレは、そのどちらでもない。
どちらかと言えば、目的達成のために積極的に行動するタイプではあるけれど、他人を傷つけてまで達成したいことなんてない。資本主義を否定するわけではないけれど、経済資本や環境資源には限界があるから、その限られたパイをみんなで分け合う、他者収奪的でない未来を模索している。つまり、目的意識の有無という点では肉食系と同じだけど、その起点を他者に置くという点では草食系と同じなのだ。

この自分のタイプを、菜食系と呼んでみようと思う。
ベジタリアンの人たちは、強い意識を持って肉に手をつけない。それは主に、食肉の生産のために大量の飼料が使われ、世界の食糧問題の主因になっているという考えからだ。健康維持のためもあるかもしれないけど、自らの欲望のために飢えに苦しむ人を増やすのは避けようという問題意識がある。
人類が家畜を飼うのは、いつでも肉を食べられるようにしたいからだけど、こんなに回りに肉加工品が溢れてなくてもいいよな、って思う。肉って脂っこくて食べにくいし、その脂が過剰摂取により自らの体を蝕むことも知っているわけだから、手に入った時に食べるくらいでいいし、そういうライフスタイルも案外みんな受け容れられる気がする。


はい、オレは「菜食系男子」です。

仕事に力を注ぎ、仕事から報酬を得るよりも、
家庭に力を注ぎ、家庭から安息を得るよりも、

社会に力を注ぎ、社会から満足感を得たい。


仕事に力を注ぐあまり社会にそれを振り分けられなくなる位なら、
必要最小限の資金だけ確保してから、辞めてしまっていいと思う。

家庭に力を注ぐあまり社会にそれを振り分けられなくなる位なら、
結婚なんてせずに、目いっぱいの時間と資金を充てていいと思う。


自分という資本を社会に投入して、最大の成果を狙う。
そのための手段が、仕事であったり、家庭であったり、
場合によってはアンオフィシャルな関係であったりする。
僕が選ぶべき手段とベストバランスは、まだわからない。
でもいずれにせよ、その成果から得られる満足感こそが、
再投資のための資本、つまり僕の生きる糧になるはずだ。

(ドリコムブログサービス終了に伴い、ここに転記)


PROFILE

好きなもの

洋菓子全般
酸っぱいもの全般
ファンクで緻密で意欲的なジャパニーズロック
世間の常識や前提を疑う芸術
マジメなドキュメンタリー番組
都市の散歩
人と話すこと
うちあげのお酒


嫌いな・苦手なもの

香辛料
タバコの煙
炭酸
寝巻きで出歩く人
死刑
エロトーク
キャッチボール
手作業
風船を膨らませること
非生産的な日常


BIOGRAPHY

1984.7.29
東京都荒川区、東京女子医大第二病院で生まれる。
身長49cm、体重2740kg。

1985 夏
埼玉県春日部市に転居。
以後も昼間は荒川区の祖母に預けられ、下町の空気の中で育つ。

1988
最古の記憶。
保育園。おやつが大好物のプリンであることを知っていたオレは、
お昼寝から一番に起きて、布団を片付け机を用意して独りでスタンバイ。

1992.10.12
その後数年間の大親友になる友達が同じクラスに転入。
国語の授業で「親友」という言葉を習った後、親友の誓いを交わす。

1993.5.19
その大親友が茨城県取手市へ転校。
泣きじゃくりながら別れを惜しんだ。

1995.3.11
「クロノ・トリガー」発売。
現在も実家に帰るとたまにプレイする。サントラも所有。
オレはタイムスリップが絡む映画・小説で涙もろくなる。なぜ?

1997.3
春日部市立谷中小学校卒業。

1997.10
音楽メモをはじめる。
これは98年2月と06年1月に一時中断しながら、06年11月まで続いた。

2000.3
春日部市立中野中学校卒業。

2000.4
埼玉県立不動岡高校外国語科に入学。
女子33人、男子7人という環境で3年間を過ごす。

2001.9.11
米国同時多発テロ。
アメリカ研究や都市論、イメージ論に関心を持つ最大の契機。

2002.5.24
人生を揺るがす衝撃。
社会学・教育学への間接的な契機。

2003.3
埼玉県立不動岡高校外国語科卒業。

2003.4
筑波大学第二学群比較文化学類に入学。
茨城県つくば市でひとり暮らしをはじめる。
炊飯器もフライパンも使わないひとり暮らし。

2004.12.13
筑波大学スポーツ・デー学生委員会委員長就任
(~2005.12)

2005.3.13
紳士服の販売店でアルバイト
(~2006.1.31)

2006.3.25
埼玉県春日部市の実家に戻る。

2007.3
筑波大学第二学群比較文化学類卒業。

2007.6
某人材サービス企業に入社。
転職支援コンサルタント、IT資産管理、営業事務、売掛管理などの業務に従事。

最近、以前にも増して、集中できなくなっている。
仕事中も、読書中も、テレビを観ている時も、挙句の果ては
誰かと話をしているときでさえ、他のことが気になってしまうことがある。


もともとオレには軽い多動性障害があると思っている。
読書中には、その文章の醸し出す雰囲気から別のインスピレーションを受ける。
テレビを観てて見聞きした言葉からも、何か別のことを思い出す。
PCでウェブブラウザを開いたら、目的を後回しにして思いつきで別の調べものを始める。
そしてそれらの雑念が取り払えず、行動の目的がすり替わってしまうのだ。


一度に二つのことを処理できない。
オレの頭の中ではそれらの差異が強調されるばかりで、
だからそれらを同時に処理するために、オレは、世界の全体を把握して、
その支配下にあるそれらの共通項を手がかりにするしかない。

これって、言ってることわかるかな?

つまり、オレの上昇志向は正確には上昇志向ではなく、
拡張志向と言えば適切な言い方かもしれない。
拡張志向は、漏らさず残さず、薄く広く、関知する部分を増やす志向だ。
だから、スピードがどうしても上がらない。


マニュアル的な仕事や何かの制作作業には不都合が多いけど、
まぁこの性格は強みになることもあるので、上手に付き合っていきたい。

高層ビルのエレベーターにひとりで乗ったとき、
つい楽しくて、子どもっぽいことをしてしまう。


ジャンプ!


下降中のエレベーターの中でジャンプしたら、
頭をぶつけるのかな?って考えたことあるよね?
あるいは、新幹線の中でジャンプしたらどうなるか?とか。

小さい頃ずっと疑問に思ってたけど、
ぶつける心配はない、っていうことを、
確か、慣性の法則で説明することはできるらしい。

普通のスピードで昇降するエレベーターではそれでいいけど、
実は高速で昇降する場合、ちょっとおもしろい。


ふわっと浮く、のだ。


チャンスは、高速で上昇しているエレベーターが、
乗降階に近づいて急にスピードを落とすタイミング、
または、エレベーターが下降を始め、急加速するタイミング。


急上昇するエレベーターの床に接地している身体は、
慣性の法則でそれ自体も急速に上昇している。
ところが上昇のスピードが急に落ちると、
身体には強い下向きの重力がかかり、上向きの慣性は弱まる。
その微妙なタイミングで接地を解いてあげると、
エレベーターの速度以上に強い慣性のみが身体に残り、
通常のジャンプ以上の滞空時間を実現できる、というわけ。
物理のことはわからないけど、理論的にはこんな感じかな。


ほんとに、浮く。
高層階へ直行するエレベーターなら、
途中の階で停まることがないので、適している。
ぜひお試しあれ。


.

新しい部署の定例MTGで、改めて自己紹介をしたときの反応。
pptで資料作って。


家族紹介があんなにウケると思わなかったー。
ひとりひとりは融通利かなくて面白みのない人間だけど、
全員揃えると特異な家族になるんだという確証を得ました。


・冷蔵庫のゾーン分け
・贈答品はせーので配分
・個人別予定表に「アメ」「ヒメ」「タメ」
・車の利用予約表、運行距離記録表


紛争解決の手段として導入してきた家族内ルールは、
いつの間にかガラパゴス的な進化を遂げていたようです。

このネタは使えるぞ電球

最近、2つのことを会話で心がけるようになった。

?相手の気になる動作や状況に関して質問・ツッコミをする。
?自分に興味を持っていると相手が思うように、話す、聞く。


おれは、人に興味がないと思われることが多い。
自分でもそう思っていた。けど、実は違うんじゃないかと。
むしろ、いつも周りの人を観察して、取り組むべきことに集中できないくらいだ。

もったいないのは、観察して気づいたことを相手に伝えることを遠慮すること。
それは、せっかく見つけた話のタネを暗室に置いて枯らせているのと同じかも。

おれは他人を尊重しすぎるきらいがある。
「他人は他人」「自分は自分」意識が他の人より強いことは、経験上認識している。
だから、なにか相手の変わった行動に気づいても、
それがその人らしさだと勝手に納得して、それ以上深追いすることはしない。
それが、深い人間関係を作るのを妨げてきた要因だろう。
逆に言えば、壁を作らず誰でも認めて受け容れて、
効率的に「浅く広く」関係をつくることには成功したとも言える。


大学を出て、交流関係が硬直してきた。
こういう状況になったから、コミュニケーションスタイルを「深く」の方へ
舵をきってもいいだろうと思うようになったのだ。それが理由。

以前よりは、話が長く続くようになったと感じてる。

-

Martin Luther King Jr.―牧師・黒人公民権運動のリーダー

「I have a dream」と呼ばれる名演説が大好きです。
牧師として培われた表現力の賜物なのでしょうか。
おそらく障害の多さに辟易したこともあっただろうと思いますが、
目指す未来のイメージを明確に持ち、それを民衆に説き続け、
信念と行動で成果を出した、20世紀を代表するリーダーです。


Gordon Matta-Clark―写真家・芸術活動家

日本ではほとんど名前が知られていませんが…。
生活空間とアートをリンクさせ、 機能主義に与しない空間の意味を発見し、
そして、人と人との出会いを促進することでNYの現代アートを発展させた人物。
着想と包容力に優れた、尊敬すべき人です。
おれもこういう人を目指したい。


上地雄輔―俳優・タレント

ブログを愛読しています。
周囲をはっとさせる言動を起こす彼の思考回路、
そして人を惹きつける天性の素質にはあこがれるし、
本人は「責任感がない」と言っているけど実は信念にとても忠実で、
その達成欲の強さとサービス精神には、感服します。

他人の言うことを信じない。

これまで気づかなかったけど、一般と比較して、
俺のその偏執性は振り切れてるんじゃないかと思う。
そして、それがおれの行動やパフォーマンスに決定的な影響を与えていると思う。



第一、信じるってどういう事だろう。

相手の言葉が100%真実だとその場で証明する術は誰も持っていない。
信じるという行為は、自分で判断することを断念した上で成り立つ。
それができない俺は唯物論者、
つまり、客観的事実にしか納得できない人間なんだ。


徹底して、信じない。
そういえば俺、信じてるよ、って、
激励の目的以外で言ったことがないなぁ。



けれど、他人を信じられないことの弊害は多い。

判断に時間がかかり、切り替えが下手。
信じるに足る情報を常に探しているから、いつも注意が散漫。
自分の目的地を誰かの計画に委ねられないから、自分の思考の地平から離陸できない。

結果、おれの遂げる成果は卑小で陳腐だ。




人の言うことが信じられないのは、俺の育った境遇が強く影響している。

おれの父親は、キリスト教の教えにあることしか言わない人。
子供をしつけるときは勿論、日常会話さえ、ほとんどが聖書の一説の引用だ。
「イエス様はこう言ってるだろ?」

人間は万能じゃないから、失敗をするし、間違ったこともする。
それがキリスト教の教え、イコール親の教え。

宗教心はないけど、その考えには俺も感化されていて、
人間は、正しくないけど悪くない、愛すべき存在だと考えてる。

性善説と原罪論がうまく同居した博愛主義と言えば端的に言い当てているけど、
実情は、誰をも愛するけど誰をも信じないだけのこと。



さらに決定的な要因がひとつ。

自分が真実だと思っていることを真実だと思わない人間がいることを
小さな頃からわかっていた。
最も身近なはずの親が、自分とは異なる真実の中に生きる人間だったからだ。

人の数だけ真実がある。
だから他人の真実と自分の真実を混同することを、回避しなければいけないはずなんだ。

そんな風にして、決して無条件で相手の言葉を肯定することはせず、
すべての判断を自分で下し、すべての結論を自分の手で出してきた。



けれど、いよいよその限界を感じるようになった。

世界中の客観的事実をたくさん集めることへの憧れはあったけど、
考えていたほどの面白みがないし、ただ悲愴感に包まれるだけだった。

それよりは、可変的な「世界」や「真実」を前に、
それに対して何ができるかを考えたほうが、おもしろいし生産的だろう。


他人の言うことを信じなくてもいいのかもしれない。
これまで通り、それを認めるだけでいい。

ただ、もし遠くまで行きたいなら、
自分で判断すべきこととそれ以外を線で引いて分けて、
どうなってもいいことは、誰かに/流れに任せていいと思えるようにならないと。



original text written on 2004.1.22


I was born in a lower town near Ueno.
When I was a little boy, I often went to Ueno Park with my grandma,
then pleased to go to Ueno Zoo in that.
Also ofen went to Ame-Yoko (a big discount market in Ueno).
The memories of those days have gone far but it stirs my blood when I go to Ueno today.


Ueno is old city that have many institutions of culture.
There are the park, temples, museums, halls, dapartment stores, small shops and amusement centers.
It was developed as the gate town of Kan-eiji temple in Edo era.
Afterward in Meiji era, many institutions of culture was established and concentrated on Ueno because it is close to both the lower town vibrant with lives and main districts of business of Tokyo (ex. Marunouchi, Nihombashi and Akihabara).
It has two side aspects of the calm and the activity.


We can see many homeless people in Ueno Park.
They would prefer that place but it is sure that they mar the beauty of the landscape.
I consider whether there is any solution for that problem of my birthtown, but it is not simple.
I am going to keep thinking about that.



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